8月19日 「生死学」のお話会でお話しします。
- 2017/08/16
- 09:51
気づけばお盆も終わり、8月後半。
いろいろお知らせしたいことはありますが
まずは迫ったものから行きましょう。

さて、今週末。
私の第2のホームUmiのいえにて
お話させていただくことになりました。
きくちさかえさんの生死学(しょうじがく)の講座です。
わ、私でよいのかしら?とも思いましたが
女将である齋藤まきこさんの
「大ベテランの助産師さんじゃない、志半ばの若者が語るのって、大事だと思うよ」
に背中を押してもらって。
学生時代
大きな産科の病院
NICU
そして助産院
たぶんこの15年で、かなりこゆ~い助産師人生を送ってきた方だと思います。
お迎えしたこと
お見送りしたこと
たくさん泣いて、笑ったこと
感じたこと
私なりにお話しできたらいいなあと思っています。
【日時】2017年8月19日(土) 13時~17時
【場所】Umiのいえ(横浜駅みなみ西口徒歩10ふん)
【参加費】5000円
【詳細・お申し込みは】 Umiのいえ
みんなで体験を話し合う時間もあります。
近々の告知で申し訳ありませんが、多くの必要な方に届きますように。
≪以下 Umiのいえより、転載です≫
生死(しょうじ)学とは、誕生と死を同一の視野にいれ、
二つの起点を通して「めぐるいのち」について思考する学問です。
誕生に寄り添うケア、死にゆく人や、死にゆく人のそばにいる人を支える(ケアする)姿勢について学び合い、
誕生と死を取り巻く環境の共通性や課題について考えていきます。
これまで死生学の中では語られにくかった「生まれる(誕生・出産)」を抱合し、
いかに生まれいかに死ぬかを、円を描くように思考することで、
繰り返されるいのちのダイナミズムについて思いをはせていきます。
これまで死は医学的に「敗北」と捉えられることが多く、
日本文化の中では忌みとされオープンに語られることはあまりありませんでした。
誕生の領域でも流産や死産など、悲しみに出会うことがあります。
医療者や介護者が当事者や家族に寄り添う姿勢は、誕生の場面にも死の場面にも同様に求められています。
身近な人の死や見取りの体験などを語りながら、その先に見える自らの死について、
また自分の生をどう生きるかをも考える機会として、この生死学講座を設けました。
さまざまな体験をお持ちの方々が集い、体験をシェアして学びにつなげていきたいと思います。
いろいろお知らせしたいことはありますが
まずは迫ったものから行きましょう。

さて、今週末。
私の第2のホームUmiのいえにて
お話させていただくことになりました。
きくちさかえさんの生死学(しょうじがく)の講座です。
わ、私でよいのかしら?とも思いましたが
女将である齋藤まきこさんの
「大ベテランの助産師さんじゃない、志半ばの若者が語るのって、大事だと思うよ」
に背中を押してもらって。
学生時代
大きな産科の病院
NICU
そして助産院
たぶんこの15年で、かなりこゆ~い助産師人生を送ってきた方だと思います。
お迎えしたこと
お見送りしたこと
たくさん泣いて、笑ったこと
感じたこと
私なりにお話しできたらいいなあと思っています。
【日時】2017年8月19日(土) 13時~17時
【場所】Umiのいえ(横浜駅みなみ西口徒歩10ふん)
【参加費】5000円
【詳細・お申し込みは】 Umiのいえ
みんなで体験を話し合う時間もあります。
近々の告知で申し訳ありませんが、多くの必要な方に届きますように。
≪以下 Umiのいえより、転載です≫
生死(しょうじ)学とは、誕生と死を同一の視野にいれ、
二つの起点を通して「めぐるいのち」について思考する学問です。
誕生に寄り添うケア、死にゆく人や、死にゆく人のそばにいる人を支える(ケアする)姿勢について学び合い、
誕生と死を取り巻く環境の共通性や課題について考えていきます。
これまで死生学の中では語られにくかった「生まれる(誕生・出産)」を抱合し、
いかに生まれいかに死ぬかを、円を描くように思考することで、
繰り返されるいのちのダイナミズムについて思いをはせていきます。
これまで死は医学的に「敗北」と捉えられることが多く、
日本文化の中では忌みとされオープンに語られることはあまりありませんでした。
誕生の領域でも流産や死産など、悲しみに出会うことがあります。
医療者や介護者が当事者や家族に寄り添う姿勢は、誕生の場面にも死の場面にも同様に求められています。
身近な人の死や見取りの体験などを語りながら、その先に見える自らの死について、
また自分の生をどう生きるかをも考える機会として、この生死学講座を設けました。
さまざまな体験をお持ちの方々が集い、体験をシェアして学びにつなげていきたいと思います。
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